おそらく15年以上前のことになるだろうがインターネットを初めて使用した頃ぽちぽちと短いブログを書いていた。現在そのサービスは終了していて何も残っていない。
次に登録した無料ブログサービスの一つはいろいろあってすべて削除した。
もう一つのブログは記事のほとんどを削除したが場所だけは残してある。しかし今一つ更新する気にならない。その理由もこれまたいろいろあるわけなのだがいちいち並べて分析したところでいまさらである。
現在インターネットのアカウントは無料140字SNSの他に映えSNSとそこから派生したSNSにあるが使いやすさでいうとやはり140字SNSである。
なぜなのかと少し考えてみる。個人的に言えば使用に慣れているし簡単だし何よりもくだらない短文でも他人のものと一緒にタイムラインとして流れていくから気負わないでいられるのがいいのかもしれない。留まらずに時系列で動いているのがいい。視界からどんどん消えていくのが話し言葉のような一面がある。実際には削除しない限り読み返すことが可能なのだが。
さて一方ブログである。
長文向きではあるがゆえに文章の起承転結を考えないといけない。どうでもいい内容でも形を整えなくてはならない。その為に推敲するから時間がかかる。
現にこのブログも書いては直し放ったらかしの繰り返しでここまで1ヶ月くらいかかっている。途中放置の時間もある。
そうなると書きたいなと思っていた内容が書かなくてもいいような気がしてくる。色褪せてしまう。やる気がなくなる。根気もないし。
どうでもいい内容でも、とりあえずのテーマは必要な気がする。題名つけなあかんし。
生き残りたいと思ってない上にハードルが高すぎるのだ。
以前書いていたブログの数少ない読者から「あなたのブログは手紙のようだ」と言われたことがある。手紙なら書けるかもしれないと続けていたことを思い出した。
手紙なら書ける、のか。誰宛やねん。
宛名のない手紙を書き続けることができる、のか。
とりあえず今回はここまで。